人物名鑑 【は】
林 信太郎 (はやし しんたろう)
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速見 又四郎 (はやみ またしろう)
江戸帰還後、老中・板倉伊賀守から清河八郎暗殺の命を受け、麻布一の橋において、佐々木らと清河を殺害した。のち京都見廻組に加わる。 |
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原田 左之助 (はらだ さのすけ)
また、坂本龍馬暗殺の嫌疑をかけられた事もあった。京で町娘のマサと結婚。妻子を残したまま江戸に行く。近藤たちと離別した後、永倉新八と共に新政府軍と戦ったが、最期は彰義隊に加わって上野で戦死。享年29歳。 伊予にいた頃、相手の言葉にカッとなって腹部を切り、その傷痕を自慢していたという。その勇ましい性格から、満州に渡って馬賊となったという伝説まで残っている。 |
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土方 歳三 (ひじかた としぞう)
八月十八日の政変での活躍を認められ、新撰組と改名した。その後、芹沢派を粛清し、局長の近藤を補佐しながら、「鬼の副長」として新撰組を統制した。鳥羽伏見の戦いでは、負傷して参戦できない近藤に代わって指揮を執った。江戸に戻ると甲陽鎮撫隊に参加。流山で近藤と別れたのちも、北へ転戦を続ける。 明治2年(1869年)、箱館・五稜郭において徹底抗戦の末、戦死。35歳だった。 新撰組隊内ではその厳しさから「鬼の副長」とも言われていたが、その一方で、俳句をたしなんだり自分に寄せられた恋文を故郷に送って見せびらかすなど、人間味あふれる一面も持っていた。 |
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平山 五郎 (ひらやま ごろう)
屯所で眠っているところを近藤一派に襲撃をされ芹沢鴨と共に斬殺された。享年35歳。 火薬の爆発によって左眼を失明していたが、不思議なことに左からの打ち込みには強く、反対に右からの攻撃に弱かったという。 |
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広岡 千子治朗 (ひろおか ねのじろう)
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福田 侠平 (ふくだ きょうへい)
明治元年(1868年)長州に凱旋帰国した直後に死亡。戦いの中で死んでいった仲間たちを想って酒をあびるほど飲んだのが原因だった。 享年39歳。 禁門の変で長州に敗走してきた時山直八を温かく迎えた人情家。それがきっかけで、時山は奇兵隊に加わったという。 |
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福原 越後 (ふくはら えちご)
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仏生寺 弥助 (ぶっしょうじ やすけ)
無学なため、なかなか仕官できなかったが、剣術の腕においては一流で、桂小五郎にも優る腕を持つと言われていた。 |
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古高 俊太郎 (ふるたか しゅんたろう)
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星野 菊之助 (ほしの きくのすけ)
この大会では、他にも織田芳次郎という剣士を破っている。 |
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本間 精一郎 (ほんま せいいちろう)
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